おぼろ月
聖@浅葱
「永倉さん、わたしは一体どうしたらいいんでしょう」
云った声は、まるで泣いているように聞こえた。
春、とは云えぬ浅き春。
霞む壬生の、空には下弦のおぼろ月。
永倉新八は、男をじっと見つめた。視線に気づいたのか、男の頬がかすかに笑ったようだった。
男は、しかし、
「本当に、どうしたら」
と、ふたたび同じことばを繰りかえし、深く・・・ため息をついた。
「夜陰に乗じ……」
永倉は、云った。声は、あたりを憚り低く抑えられている。
男は黙したまま首を横に振り、ゆっくりと眼を伏せた。
ふたりの足元には、三日前の忘れ雪が無残に汚れている。男はそれをひたと見据え、ひと刹那、顔を歪めた。
「それしかあるまい」
押し殺した声に、
「……永倉さん」
男がつらそうに口をひらく。
「わたしたちは、何の為にここにいるのでしょうか」
そう問うたにもかかわらず、男は永倉の返事を待たず、いっそうつらそうにことばを重ねた。
「みんな、死んでいく。死んでいってしまう……いいえ」
男は弱々しくかぶりを振り、空を見あげた。月が、男の眼に映る。
「わたしがこの手で殺してきた。敵も味方も……でも、殺さねば」
「殺される」
永倉は決然と云った。そして、
「なにを、迷う」
と、畳みかけた。
「迷う?」
男は月を見つめたまま、驚愕したように瞠目した。
春、とは云えぬ浅き春。
霞む壬生の、空には下弦のおぼろ月。
永倉は、あまりに悲愴なその横顔に思わずことばを呑みこんだ。
『きみが、来たか』
夕陽に映える凛とした横顔。何の動揺もない端然としたその声に、男はきつく唇を噛んだ。
侍とは、きっとこういう男のことを云うのだろう……そんな思いを噛みしめて。
『土方は……』
独り言にも聞こえる侍の呟きに、男は何も答えなかった。否……ことばを発することさえ許されない、そんな思いがただ心を占めていたのだった。
見透かしたかのように、眼前に座した侍は爽々と笑って見せた。
男はハッとして、侍を見つめた。それを真っすぐに受けとめ、
『迷うことなど、なにもない』
侍は、云った。
『帰ろう、壬生へ』
『山南さん……っ』
叫んだ・・・はずだった。
だが、男のそれはむなしく宙に散り、声にならなかった。
「くそうっ!」
突然、永倉が足元の雪を蹴りあげた。男は無言のまま、おぼろに霞む月を見あげている。
「土方はなにを考えてるんだ! 近藤さんは何故なにも云わぬ!」
唇を震わせて放たれた永倉の声は、ほとんど悲鳴に近かった。
「まるで悪鬼外道だ。そうではないか」
男は月を見つめていた眼を閉じ、かすかに吐息をついた。
「沖田っ!」
永倉は追い討ちをかけるように男の名を叫んだ。
男の眼があいた。その眼が、永倉を真っすぐに捉える。
刹那、永倉は強烈な殺気を感じ、思わず一歩退いた。
男・・・沖田総司は、ふたたび月を振り仰ぎ、哀しく笑った。
……春、とは云えぬ浅き春。
霞む壬生の、空には下弦のおぼろ月。
元治二年二月二十三日。
新選組副長山南敬助 切腹。
了

聖@浅葱
「永倉さん、わたしは一体どうしたらいいんでしょう」
云った声は、まるで泣いているように聞こえた。
春、とは云えぬ浅き春。
霞む壬生の、空には下弦のおぼろ月。
永倉新八は、男をじっと見つめた。視線に気づいたのか、男の頬がかすかに笑ったようだった。
男は、しかし、
「本当に、どうしたら」
と、ふたたび同じことばを繰りかえし、深く・・・ため息をついた。
「夜陰に乗じ……」
永倉は、云った。声は、あたりを憚り低く抑えられている。
男は黙したまま首を横に振り、ゆっくりと眼を伏せた。
ふたりの足元には、三日前の忘れ雪が無残に汚れている。男はそれをひたと見据え、ひと刹那、顔を歪めた。
「それしかあるまい」
押し殺した声に、
「……永倉さん」
男がつらそうに口をひらく。
「わたしたちは、何の為にここにいるのでしょうか」
そう問うたにもかかわらず、男は永倉の返事を待たず、いっそうつらそうにことばを重ねた。
「みんな、死んでいく。死んでいってしまう……いいえ」
男は弱々しくかぶりを振り、空を見あげた。月が、男の眼に映る。
「わたしがこの手で殺してきた。敵も味方も……でも、殺さねば」
「殺される」
永倉は決然と云った。そして、
「なにを、迷う」
と、畳みかけた。
「迷う?」
男は月を見つめたまま、驚愕したように瞠目した。
春、とは云えぬ浅き春。
霞む壬生の、空には下弦のおぼろ月。
永倉は、あまりに悲愴なその横顔に思わずことばを呑みこんだ。
『きみが、来たか』
夕陽に映える凛とした横顔。何の動揺もない端然としたその声に、男はきつく唇を噛んだ。
侍とは、きっとこういう男のことを云うのだろう……そんな思いを噛みしめて。
『土方は……』
独り言にも聞こえる侍の呟きに、男は何も答えなかった。否……ことばを発することさえ許されない、そんな思いがただ心を占めていたのだった。
見透かしたかのように、眼前に座した侍は爽々と笑って見せた。
男はハッとして、侍を見つめた。それを真っすぐに受けとめ、
『迷うことなど、なにもない』
侍は、云った。
『帰ろう、壬生へ』
『山南さん……っ』
叫んだ・・・はずだった。
だが、男のそれはむなしく宙に散り、声にならなかった。
「くそうっ!」
突然、永倉が足元の雪を蹴りあげた。男は無言のまま、おぼろに霞む月を見あげている。
「土方はなにを考えてるんだ! 近藤さんは何故なにも云わぬ!」
唇を震わせて放たれた永倉の声は、ほとんど悲鳴に近かった。
「まるで悪鬼外道だ。そうではないか」
男は月を見つめていた眼を閉じ、かすかに吐息をついた。
「沖田っ!」
永倉は追い討ちをかけるように男の名を叫んだ。
男の眼があいた。その眼が、永倉を真っすぐに捉える。
刹那、永倉は強烈な殺気を感じ、思わず一歩退いた。
男・・・沖田総司は、ふたたび月を振り仰ぎ、哀しく笑った。
……春、とは云えぬ浅き春。
霞む壬生の、空には下弦のおぼろ月。
元治二年二月二十三日。
新選組副長山南敬助 切腹。
了
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